歴史部会 5月例会(2026年)

歴史部会

5月の歴史部会は9日に開催しました。会場はいつもの太子堂区民センターで、テーマは「病院の歴史」、担当は佐々木さん(1992年・教育)です。

日本は非常に医療が充実した国の一つですが、今日に至るまでには、多くの先人の努力がありました。佐々木さんは、明治時代の著名な社会活動家である賀川豊彦(「生協」の生みの親)が説いた、病院は本来「親切院」であるべきという思想がいかにして根付いていったのかを、往時の豊富な資料とともに紹介しました。

東京大学医学部は、1858年に神田お玉ヶ池に設置された「種痘所」をルーツしており、その門構えから「鉄門」と呼ばれ、その名は現在にも残っています。それまでイギリス医学が主流であった維新政府内で、佐賀藩医の相良知安がドイツ流の「研究・大学病院中心主義」を採用したことで、現在の大学中心の医学が確立しました。

慈恵医大は、ナイチンゲールを模範とした日本初の看護教育を確立したことで知られますが、これには大山巌の妻である大山捨松(日本初の米国留学生の一人)が大きく貢献していました。

玉川病院は、日産グループの創始者である鮎川義介が創設した「日産健康相談所」を源流とし、その後、瀬田の清水建設副社長の別宅跡に開院しました。当時、瀬田は別荘地で、その敷地からは約3万年前の「下山遺跡」が発見されています。

その他、順天堂、松沢病院、関東中央病院など、皆様にもおなじみの病院の由来が解説されました。

会場からは、救急車で運ばれたときに、なかなか受け入れ病院が決まらなかったが、最後に自衛隊中央病院で受け入れてくれた。以前は、女性看護師も階級章を付けていたが、自分より上官だと自衛官である患者が遠慮してしまうので、現在は階級章を付けなくなったと、といった興味深いエピソードも紹介されました。

今後の例会は、6月13日「明治時代の日本陸軍」(担当:西川さん)、7月11日浮田さんの宇喜田氏家に関しての講演および「電気の歴史」(担当:林さん)を、また、5月30日は駒沢公園にある旧前田邸の見学を予定しています。

(佐藤 正和 記) 

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